生活情報紙「あれんじ」公式サイト

トップ最新号とバックナンバー読者プレゼント
白い霧の世界に出合う 冬の城下町 人吉


山々は霧に包まれ川面をはねるように鳥が遊んでいます


清兵衛屋敷跡の地下室 どう使われたかは謎?
球磨川越しに見る、人吉城跡   人吉城跡の石橋。この先に相良神社があります


世界でも珍しいとされる地下室遺構。人吉城歴史館で見ることができます
 
かつての相良清兵衛屋敷跡に建つ、人吉城歴史館


  まるで、流氷のように空を漂う冬の雲。その空の色を映し、球磨川は今日も悠々と流れています。ほとりには、ホテルやビル、民家が建ち並び、そこはかとない情緒が漂っています。それは、昔からある街の匂いのようなもので、近世人吉藩の武家文化を中心に築かれてきた、“人吉のテイスト”のように思えてなりません。
 人吉球磨を治めた相良氏の始まりは、建久9年(1198)。鎌倉幕府3代将軍源実朝から、遠江国(とおとうみのくに)相良庄(静岡県牧之原市)出身の相良長頼が人吉の地を拝領したことによります。
 関ヶ原の戦い(1600年)では、初代藩主の長毎(ながつね)は西軍方でしたが、東軍方に寝返ります。このとき、機転をきかせて相良家を導いたのが重臣の相良清兵衛でした。
 この清兵衛屋敷跡(同市麓町、現在の人吉城歴史館)に、世界でも珍しい地下室遺構があります。平成9年に、国指定史跡人吉城跡の整備による発掘調査の際、発見されました。
 地下室遺構は歴史館の中に復元されていますが、造られた目的やどう使われたかは、分かっていません。発見当時、遺構は上部を破壊され埋められていました。その理由をひもといていくと、清兵衛という武士の生き様にたどり着くのです。
 初代藩主の長毎に重用され、清兵衛は家老として権勢をふるいました。しかし長毎の遺言により、二代藩主頼寛は、寛永17年(1640)、幕府に清兵衛を訴えます。頼寛としては、将軍に認められた実力者を自ら処罰できなかったのです。
 その結果、清兵衛は死罪を免れましたが、津軽藩に追放され、そこで88歳の生涯を閉じます。残された一族が清兵衛の屋敷に立て籠もり、寛永17年に御下(おしも)の乱という事件が起こりました。屋敷にあった地下室遺構は、このときに、破壊され埋められたものです。


問い合わせ

■人吉城歴史館
人吉市麓町18の4
TEL.0966(22)2324
営/9時~17時
休/第2月曜(祝日の場合は翌日)
観覧料/一般200円
(団体20名上150円)・高校生以下無料


 

>> 2 町自慢の国宝「青井さん」に注目のパワースポットも点在
※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.91(2014.1.11)掲載
相良藩700年の歴史と文化が息づく人吉市。町の中心部を球磨川が流れ、城下町の情緒豊かな風景が広がります。冬は名物の霧が発生。寒い朝は、町全体が乳白色の世界に包まれます。他の季節では味わうことのできない、冬の人吉を歩いてみました。

文=福永和子 写真=森賢一(グラフ)
表紙=朝もやがたつ、早朝の球磨川



白い霧の世界に出合う 冬の城下町 人吉
清兵衛屋敷跡の地下室 どう使われたかは謎?
町自慢の国宝「青井さん」に 注目のパワースポットも点在
大好きなふる里を元気に 楽しみながら知恵と工夫
シェフの人柄伝わる味わい チーズ入りオムレツライス

くまにちコム


このページのトップに戻る↑



掲載の記事、写真の無断複製・転載を禁じます
Copyright Kumamoto Nichinichi Shimbun