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石工の魂が息づく、秋の里 東陽町

種山石工の歴史など詳しく紹介している「石匠館」


霊台橋、通潤橋など建造 全国で活躍した種山石工

初期のころの橋が点在する東陽町北地区。「石匠館」の上の方にあります。遊歩道を歩きながら石橋巡りをするのもいいものです
 
肥後の石橋に すっかり魅了されたという「石匠館」館長の上塚尚孝さん


東陽町河俣地区にある山口橋。瀬音が心地よく響きます
 
山口橋の上を歩く人を見かけました。昔も今も、石橋はこの地区の人たちにとって大切なものです


 キンモクセイの匂いがどこからともなく漂い、少し弱くなった日差しを受けて、川面は白い光を踊らせています。
 やわらかく煙って見える秋の川の景色。その上に架けられたアーチ型の古色蒼然とした山口橋(八代市東陽町河俣)のたたずまいは、一枚の絵画を見るようです。
 この橋を手がけたのが、種山石工(たねやまいしく)。江戸末期から大正時代にかけ、全国にアーチ型の石橋を架けた日本一の石工集団です。その発祥地が、ここ、東陽町なのです。
 種山石工の仕事で有名な建造物が通潤橋(上益城郡山都町)、霊台橋(同美里町)、明八橋、明十橋(熊本市)です。全国に現存する石橋は1700カ所以上あり、その内の約2割が熊本に残っているという理由には、細川藩6代目・重賢(しげかた)の政策が関係しているようです。
 「細川藩による『宝暦の改革』(1752年)から50年後、請免(うけめん)制が行われました。つまり年貢の率を下げた分、土木工事として民から寸志を募ったんです。人々も自分たちの暮らしが豊かになる工事ならと、資金や労働を提供したのです。そて、用水路の整備に伴い、多くの架橋がなされていきました」と話すのは同町にある「石匠館」館長の上塚尚孝さん(78)。
 その一方で上塚さんは、歴史の背景に存在した、種山石工の技と気概に胸を打たれるのだ、と続けます。
 「石橋を架けるだけでも大変なのに、アーチ型にしているんですよ。当時にあって知恵を絞り、しかも人力で工事を果たしたと思えば、感動せずにはいられません」。
 上塚さんは元教諭で、若い頃に美里町の小学校に赴任し、そこで見た霊台橋の美しさに魅了されたそうです。
 「霊台橋の下に立ち、ポンと手を叩けば166年前の音が返ってくる、それだけで心が震えます」という上塚さんは、肥後の石橋文化を残し伝えることに尽力しています。


問い合わせ
■石匠館
八代市東陽町北98の2
TEL.0965(65)2700
営/9時〜16時半
休/月曜(祝日の場合は翌日)
入館料/大人300円、高・大生200円、小・中学生100円
   (団体20名以上割引きあり)
 
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※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.86(2013.10.19)掲載

影法師の長さが少しずつ、長くなりました。風の感触が分かるほどに空気が澄む、八代市東陽町。ここで見つけたのは、石の手触りと人の温もりが通う出会いでした。


文=福永和子 写真=森賢一(グラフ) 表紙=夕日に染まる笠松橋(八代市東陽町河俣)



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