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ゆるやかな歴史の流れを感じる 南関町
全長2.3メートル、窯幅3メートルと巨大な「古小代の里公園」の連房式登り窯跡


粘土やクマザサなど 山の恵みで生まれる器 親子で受け継ぐ古小代の技

車壺(くるまつぼ)と呼ばれるろくろ跡。ボコボコと地面に掘った穴の中に蹴轆轤(けろくろ)がすえられていたそうです
 
粘土や釉薬は全て手作りする「岱平窯」。茶碗や皿など、料理が映える食器類も豊富にそろいます


豪快な中にも素朴な温かさを感じる父・岱平さんの作品。「主人が亡くなった歳と、今の息子の歳がちょうど同じくらいなんですよ」と、理知子さんは感慨深げに話してくれました
 
登り窯の中に乾燥させた器を詰めていく坂井さん。忙しいさなかにお邪魔したにもかかわらず、笑顔でお話ししてくれました


小代焼の特徴の一つ白釉がアクセントになった焼酎カップ各2000円。おみやげ物に人気だそうです
 
左から、「岱平窯」の坂井博樹さん、理知子さん親子。理知子さんの高校の同級生で手伝い来ているという林田信一さん(64)


 熊本を代表する焼物「小代焼」。自由奔放な釉薬(ゆうやく)の掛け流し模様が持ち味の焼物は、細川忠利公に従って肥後に入国した陶工が焼物師として命じられ、南関町宮尾に登り窯を開いたと言われています。
 小岱山の東麓には、天保7年(1836)に当時の山奉行・瀬上林右衛門が、自ら窯元となって築窯した「小代焼瀬の上窯」の跡が残っています。石積みの登り窯をはじめ、陶土の水こし場、ろくろ場などの跡を見ていると、その広さから小代焼が肥後藩の一大産業として繁栄していたことがうかがえます。静かな山には鳥の声が響き、耳を澄ましていると、活気ある陶工たちの声が聞こえてきそうです。 
 古窯跡の周囲は「古小代の里公園」として整備され、沿道や休憩所に植えられた梅の木に青い実が揺れています。南関町には9つの窯元が点在し、そのうちの2つが、小代焼の伝統と技を守り続けています。
 古窯跡からもほど近い「岱平窯(たいへいがま)」をのぞいてみると、頭にタオルを巻いて作業に励む坂井博樹さん(43)が窯詰めの真っ最中でした。
 「岱平窯」は、坂井さんの父・岱平さんが昭和45年に構えた工房。竹を半分に割ったようなかまぼこ形の窯で、小岱山の鉄分の多い土、クマザサやワラ灰を原料にした自然の釉薬を使い、古小代焼にならった作陶を続けていました。
 しかし、昭和61年、働き盛りの40代で岱平さんは亡くなり、当時、高校生だった博樹さんは跡を継ぐことを決意したといいます。卒業後は天草の丸尾焼きで修業し、その間は、母親の理知子さん(64)とお弟子さんが窯を守ったそうです。
 「主人は古小代焼に魅力を感じて、窯跡のあるこの場所に窯を開きました。その思いは息子に受け継がれていると思います。ただ、主人亡きあとも、この地だったからこそここまでがんばってこれたと思います。南関町の人たちに感謝しています」と理知子さん。 素朴な土の温もりが漂う坂井さん親子の小代焼。手に取れば、先代の思いが確かに宿っています。


問い合わせ
■古小代の里公園
南関町宮尾下山田477
問/南関町役場まちづくり推進課
  TEL.0968(53)1111

■小代焼岱平窯
南関町宮尾470
TEL.0968(53)9245
営/9時〜18時 休/なし
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※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.78(2013.6.15)掲載
福岡との県境の南関町。古くから肥後の要衝として栄え、美しい大津山、小代焼の故郷・小岱山をはじめとした山々に囲まれたこの町は、食に工芸に、独特な文化が育まれてきました。一つひとつ宝物のように語る町の人たちと触れ合いながら、静かな山間の町を歩いてみました。

文=廣木よしこ 写真=森賢一(グラフ)
表紙=古小代焼を今に継承する「岱平窯」の窯



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