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自然と人と、暮らしの歴史 何気ない日常のなかに 秘められた豊かさ。 泗水町

開隊記念碑
 

同飛行場で空襲により亡くなった少年飛行兵ほか、多くの諸霊を慰める慰霊塔


格納庫基礎

富の原保育園の園庭に掲げられていた園歌に注目! なんと作曲は、松田聖子ら有名アーティストの楽曲を手がける松本隆氏によるもの


昔ながらの金物店と平和のシンボル
 

「戦後復興の証でもある給水塔は、平和のシンボルとして残したい」と話す倉沢泰さん

高さ約13.6メートル、水槽の横幅約7.8メートルで、160〜180立方メートルの容積を誇る給水塔。空襲の弾痕も残されています


大工道具から台所用品まで、いろんなものが並んでいます
 
やさしい笑顔がそっくりな中尾秀人さんと、中尾ヨシノさん親子

懐かしの黒電話が現役で活躍!


 吹く風が肌に心地よい季節になりました。合志川の土手には菜の花やすみれの花が咲き誇っています。そんなうららかな日差しに包まれた川沿いの福本通りに、懐かしい昭和の香りを残すたたずまいがあります。
 築100年を超える「中尾金物店」がそうです。店の入り口には竹ぼうきが売られています。台所用品から大工道具まで、生活用品が所狭しと並んでいます。
 「ここは日田街道に近いこともあり、昔は旅館だったんです。戦後まもなく建具屋になり、今は金物店です」と店主の中尾秀人さん(54)。
 郷愁が漂うこうした風情に心を寄せてしまうのは、そこに重ねられてきた物語を感じ取れるからでしょうか。
 さて、泗水町の富の原地区には、戦後の復興と平和の大切さを伝えるシンボル、「旧陸軍菊池(花房)飛行場跡」があります。今はのどかな田園風景と住宅が立ち並ぶ一帯に、弾薬庫や格納庫の基礎といった遺構が点在しています。
 「花房飛行場」が建設されたのは、第2次世界大戦期。「終戦まで、ここには陸軍航空通信学校菊池教育隊や実戦部隊が配置されていました。ときには、特攻隊の中継基地としても利用されていたんです」と話すのは、富の原保育園の理事長兼園長を務める倉沢泰さん(92)。倉沢さんは自身も戦争経験者で、戦後、飛行場跡地へ開拓者として入植した約50世帯のうちの一人です。
 この地区の一角に高さ約13メートルの給水塔跡があります。当時、兵士たちの暮らしを支えたものです。大戦末期に行われた米軍の空襲による弾痕を残しつつも、戦後この周辺に入植した開拓団に生活用水を給水し続けました。2007年まで現役で活躍したのち、菊池市の有形文化財に指定されました。
 「私がここに来たときは米軍による空襲の後。あらゆるものがめちゃくちゃで、弾薬庫だった建物などを住居として使いながら、開拓にあたりました」と当時を振り返る倉沢さん。
 戦後復興の証でもある給水塔は、次世代へ残していきたい地域の財産であり、平和のシンボルだと思えます。


問い合わせ
■中尾金物店
菊池市泗水町福本924
TEL.0968(38)2303
営/8時〜19時 休/なし

■旧陸軍菊池(花房)飛行場跡
菊池市泗水町吉富175の46付近
TEL.0968(38)2252(富の原保育園)
>> 2 日常から生まれる器 泗水の自然と親子の絆が作る木工芸と漆芸
※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.74(2013.4.20)掲載
そよ風に誘われて、泗水町(菊池市)を訪ねました。民家の庭先では、あちらこちらに可憐な花が顔をのぞかせています。昔ながらの町並みのやさしい息づかいや、ゆっくりと流れる時間の中にある暮らしの豊かさがそこにありました。

文=木下真弓 写真=森賢一(グラフ)
表紙=日田街道のすぐそばにある「中尾金物店」



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