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花が笑ったような小春日和の一日 小川町

戦国時代に建立された禅寺『妙音寺』。江戸時代の構造制限のおり、
上が屋根、下が軒先として申請したことで、現在の二重構造の珍しい造りになったそうです


宿場町として栄えた歴史を訪ねて

天保9年に描かれたねはん図。縦4メートル、横3メートルはある大きなものです
 
陣屋敷として活用された本堂横の大広間。武士の習わし通りの畳の敷き方は今も守られています


妙音寺の本堂では、「供養の場だけではなく、気軽に立ち寄れる心のよりどころでありたい」と毎年コンサートが開催されます。ちなみに同寺が経営する「幼楽園」は、お寺の保育園としては熊本で最も古いそうです
 
父親で18代目の池田大智さん(左)を「師匠」と呼ぶ19代目の智道さん


小川町のえびす像はひな人形のようないでたちです。夫婦円満、恋愛成就、商売繁盛、子宝運などにご利益があります
 
「イベントでは、ゑびすさんを巡るスタンプラリーやライトアップされた船繋ぎの樟の下でのコンサート、小川名物の白玉粉を使ったお料理コンテストの料理が披露されます」と『ゑびすプロジェクト』の宮本さん


小川阿蘇神社境内にある「船繋ぎの樟」
 
川沿いにあるゑびすさん(右端)と、地元の人たちに大切にされているお地蔵さん(小川小学校近く)


 冷たい風が過ぎた後で、小春日和の日溜まりにほっとする季節、小川町を訪れました。国道3号から県道32号に入り、鮮魚店や肉屋、クリーニング屋と、古い店口に染み込んだ町の息づかいを感じながら曲がりくねった道を進みます。
 小川町はお寺が多く、その中の禅寺『妙音寺(みょうおんじ)』を訪ねました。楼門をくぐると右手に梵鐘(ぼんしょう)があります。大晦日には煩悩の数をつく鐘の音が響くのでしょうか。
 「当寺は、戦国時代に薩摩藩の松浦筑前守(まつうら・ちくぜんのかみ)が、母の菩提をとむらうために建立されました。松浦筑前守は、豊臣秀吉による島津征伐のおり薩摩への道案内をした人物。つまり、上司を敵に回したわけです。その功により、加藤清正からこの一帯の土地を拝領し、寺町として発展させたと考えられています」と話してくれたのは18代住職の池田大智(だいち)さん(64)。
 本堂横の大広間は、左右横並びに置かれた畳の中央を、一本の道のごとく縦に畳が敷かれています。「ここは島津家の参勤交代の陣屋敷となったようです。縦に敷かれた畳は、位の高い武将が通る場所で、そのときの習わしが残っているんです」と19代目の息子の智道(ちどう)さん(37)が教えてくれました。
 江戸時代は『小川の宿(しゅく)』と呼ばれ、宿場町として栄えました。妙音寺の下方は海だったと伝えられ、そのことを証すのが、あちらこちらに祭られている“ゑ(え)びすさん”です。
 「小川町は、室町時代ごろからえびす神の信仰が根づいたといわれています。商店街を中心に7つのえびすさんが祭られており、その内の5神体は珍しい夫婦えびすです」と『ゑびすプロジェクト』の宮本晴隆さん(53)。
 また、小川阿蘇神社の“船繋ぎの樟(くすのき)”は、阿蘇神社の分霊を奉じてきた船をつないだとされています。今では、ここが海だったことを想像させるものは何ひとつありませんが、残されている文化にかつての光景が浮かぶようです。
 11月24日(土)に小川町商店街で『しあわせ探しのゑびす巡り』のイベントが開催されます。


問い合わせ
■妙音寺
宇城市小川町小川10
TEL.0964(43)0155

■ゑびすプロジェクト
問/宇城市商工会小川支所
宇城市小川町江頭112の1
TEL.0964(43)0452
営/10時〜17時
休/土・日・祝日
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※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.64(2012.11.17)掲載
小川町(宇城市)の国道3号から路地に入ると、歴史の情緒を感じます。それは、かつてこの町が宿場町として栄えた証ともいえます。せわしく流れる時の中で、小川町は、誰もがほっと心を和ませる温かな人情との出会いにみちあふれていました。

文=福永和子 写真=森賢一(グラフ)
表紙=文殊堂(海東地区)へと続く、石積みの坂道



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