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ふれあいに心和む 子飼界わい

子飼商店街の裏手を流れる白川


古くから人や物が行き交った場所 足利将軍家ゆかりの寺も

金時豆やとら豆など、種類豊富な豆の量り売り=細郷米穀店


米を商って一世紀近い『細郷米穀店』


『細郷米穀店』の奥庭では、トマトの実が赤く色づいていました
 
「ふれあいを大切にする気風は、今も昔も変わりません」と細郷圭介さん


細川家とゆかりの深い『松雲院』
 
『松雲院』の墓所には、室町幕府第十三代将軍足利義輝の子で、細川忠利に招かれた道鑑(どうかん)を祖とする西山家歴代の墓所があり、道鑑もここに眠っています


「ここには、島原の乱に参戦し、合戦で命を落とした松井家武将の墓もあります」と語る森義久さん(67)
 
商店街の通りから『松雲院』へと通じる参道。入り口にちょこんと鎮座する“なごみ地蔵”


 子飼商店街入り口からほど近い『細郷(さいごう)米穀店』。店頭に掲げた品格ある金文字の看板からは、県外にも聞こえた米穀卸問屋として、“貸家百軒”ともいわれる財を成した『細郷米穀店』の隆盛が伝わります
 「私が三代目。初代は米の卸商で、戦前は陸軍第六師団に納品するなど、九州一ともうたわれた大店(おおだな)でした」と、店主の細郷圭介さん(83)。昭和4年生まれの細郷さんは、子飼商店街の今と昔をよく知る、生き字引的な存在です。
 「昔は、託麻村(当時)あたりから、農家の方が馬車で子飼に作物を売りに来よりました。そのころこのあたりにあった店は、八百屋、花屋、桶屋。あと、今は見なくなった繭(まゆ)屋もあったとですよ」。
 荷車を引く馬のひづめの音が道に響き、夕暮れともなると、収穫物を積み降ろして空になった荷台に子飼で買い入れた日用品や食材を積み、帰路を急ぐ農家の主(あるじ)…。ひと昔前の懐かしい光景がありありと浮かんできます。
 細郷さんが子どものころよく遊んでいたのが、平成6年に子飼から熊本城三の丸に移築された旧細川刑部邸があったあたり。移築以前は、商店街の中ほどから少し入った場所にありました。「屋敷の中から白川の方に抜ける通路もあって、子供にとってはワクワクするような“抜け穴”でした」と細郷さん。
 移築後の跡地にはマンションが建っていますが、屋敷に隣接していた細川家の重臣である松井家分家の菩提寺『松雲院』は、江戸時代初期から変わらずこの場所にあります。裏手には墓所があり、商店街のにぎわいが嘘のように明るく静かです。
 一群の墓碑の中には、合戦で名を馳せた松井家の兵(つわもの)や、縁あって肥後の国に落ち着いた足利将軍家末裔の名も。古びた中に気品ある姿を見せて立ち並ぶ墓碑が、抜けるように高く澄んだ晩夏の青空の下、静かにたたずんでいました。


問い合わせ
■細郷米穀店
熊本市中央区東子飼町8の38
TEL.096(343)3520
営/9時〜18時
休/日曜
>> 2 心ひかれる古木戸や小路 そこに新しい息吹が加わって
※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.59(2012.9.1)掲載
熊本市の庶民の台所として親しまれている子飼は、古くは、都に通じる古代の官道の拠点だった『蚕養(こかい)駅』が置かれていたと伝わります。
江戸時代に入ると、すぐそばを通る豊前街道により、交通が盛んになりました。昭和20年代からは、かつて存在した熊本市電“黒髪線”『子飼橋』電停を基点に子飼商店街が発展。そんな歴史を映す、ゆかしい風情の子飼の小路を歩いてみました。

文=松田有美 写真=森賢一(グラフ) 
表紙=看板がにぎやかに並ぶ、子飼商店街の通りにて。



ふれあいに心和む 子飼界わい
古くから人や物が行き交った場所 足利将軍家ゆかりの寺も
心ひかれる古木戸や小路 そこに新しい息吹が加わって
お買い得の品々に笑顔と人情、郷愁を添えて

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