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町衆の心意気を伝える 城下町八代  
八代城跡に鎮座する『八代宮』。明治13年創建

松井家3万石の城下町 路地裏で見つけた歴史の名残

こいこい通りにある『金立院(こんりゅういん)』。境内には、小西行長時代のものと伝わるキリシタン墓碑が残っています
 
「市立博物館」の南側の路地にある『澤井家住宅と長屋門』。江戸時代のたたずまいを今に伝える、八代で唯一の武家屋敷です

八代市役所から本町アーケードに抜ける「こいこい通り」。町歩きに疲れたら東屋で一休みするのもいいかも


松井家14代目当主の松井葵之さん。「昔から、妙見祭の獅子組み奴組みとが松浜軒で舞を奉納してくれます。今年は書院(座敷)に座って、襟を正して見物しようと思っています」
 
趣ある玄関を上がってお茶室へ(普段は閉鎖されています)
 
球磨川と本町アーケードの間の界わいは、時間が止まったような懐かしい風景が点在


細川三斎、松井氏の居城となった『八代城跡』。明治になり廃城になりましたが、美しい石垣は往時の姿を留めています
 
八代城のお堀を眺めていると、スイーッと近寄って来る黒鳥。水中にはコイが


八代総合病院の裏手に残る二の丸の石垣。島津氏の紋“十字紋”が刻まれている石もあるとか
 
「町内の掲示板」。ちょっと前まではよく見かけた光景です


 街に近づくにつれ、だんだんと大きく見える赤白の煙突。八代市と言えば、製紙工場の煙突が象徴するように工業の町という印象がありますが、江戸時代には細川三斎の隠居所として、また、筆頭家老の松井家の城下町として栄えました。居城であった松江城(八代城)を中心に城下町が形成され、今でも細く網の目のように張りめぐらされた路地が往時の様子を伝えています。
 八代市役所と本町アーケードをつなぐ「こいこい通り」があります。直角に曲がった道が続き、城の石垣が今も病院の礎として使われており、城下町の区割りを残します。あっちを曲がって、こっちに折れてと歩けば、細川家・松井家ゆかりの古寺や長屋門が残る武家屋敷、藩政時代の本陣跡に出くわします。時代の面影を伝えるものは建物だけにあらず。昔ながらの道は、そこにあった物語を匂い立たせ、歩いてこそ出合える城下町情緒を楽しませてくれるのです。
 『松浜軒(しょうひんけん)』もそのひとつ。今から323年前、元禄元年(1688)に松井家4代目当主の直之公が母のために建てたお茶屋で、当時は敷地のすぐそばまで八代海が広がり、宇土半島や雲仙までも見渡せたそうです。『松浜軒』という名前は、「松の木が茂る浜辺の家」から由来しており、国指定名勝でもあります。
 西側には睡蓮(すいれん)の浮かぶ池が書院(座敷)の前庭に広がり、北側は中島をこえて、さらに池は広がりを見せます。それにしても、なんと豪奢(ごうしゃ)な風情でしょうか。長年手入れされてきた松の木の見事な枝振りに見入れば、この庭のしつらえこそが、直之公の母への深い愛の形と知ることができます。
 「肥後ショウブが池を埋めつくす6月は観光客で賑わいますが、花が終わっても味わい深い庭ですよ」。突然の訪問にも快く応じていただいた14代目当主の松井葵之(みちゆき)さん(65)ですが、世が世ならば殿様と崇(あが)められるお方。「殿様どころじゃない。掃除でもなんでもやりますよ。コツがいる古い障子等の開け閉めは、私の係なんです」と笑う、なんとも気さくな殿様です。



問い合わせ
■松浜軒
八代市北の丸町3の15
TEL.0965(33)0171
営/9時〜17時
休/月曜(祝日の場合火曜休)
観覧料/大人300円、小中学生150円
>> 2 江戸時代の絵巻を再現 晩秋の城下町を練り歩く妙見祭「お上り行列」
※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.40(2011.11.19)掲載
松江城(八代城)の城下町として栄えた八代市。一方で古くからの港町でもあり、町衆による文化も花開いた地域です。11月は松井家と町衆に育まれた「八代妙見祭」も開催。伝統ある祭りと歴史ある町並みを残す八代で、深まりゆく秋の一日を過ごしてみました。

文=廣木よしこ 写真=内村友造(グラフ)
表紙=夕暮れの松浜軒(八代市北の丸町)



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