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水が湧き、坂の続く玉名・伊倉へ レトロな街の香りに触れて  

伊倉の町が描かれた『伊倉中絵図』
(1783年)。玉名市立歴史博物館寄託



アジアとの海外貿易でにぎわった港 バテレンさんも歩いた坂の街

唐人舟をつないだと伝えられる『唐人舟つなぎの銀杏(いちょう)』
 
唐人町界わい。古めかしい風情の中、ピカピカの一年生の姿はなんとも微笑ましい

庄屋をしていた蔵造りのお宅からは、干拓された平野が一望できます
『櫻井川(さくらいごう)』を基点に、右に上れば、地獄、左に上れば、極楽が待ちうけます


玉名市指定重要文化財・吉利支丹(きりしたん)墓碑。安山岩で蒲鉾(かまぼこ)型。16世紀中ごろのものと推定されています
 
伊倉台地の周辺で湧き出る13の湧水井戸を総称して、伊倉十三川(ごう)と呼びます。県の名水100選に選ばれている『櫻井川(さくらいごう)』もその一つ

夏草が生い茂り、見過ごしてしまいそうな『バテレン坂』の案内板

『伊倉まちづくり委員会』のメンバーとして、街の歴史と文化を伝えている小山武之さん(左)と松本重美さん(右)。「伊倉の街は、地元を愛する人たちみんなに守られているんです」とお二人


 涼しさを求めて水辺めぐりを思い立ちました。この時分、風は止まり、頭上の雲さえ映しこむ菊池川は凪(な)いで、見る心を穏やかにしてくれます。誰もが川の美しさは承知していることですが、実は玉名に港があったことはあまり知られていません。
 玉名には鎌倉時代からすでに知られていた高瀬津の港があり、江戸期にはそこからは菊池米を積んだ舟が大坂へと向かいました。現在“俵ころがし跡”と呼ばれるゆえんです。もうひとつが、菊池川左岸ののどかな台地に位置する伊倉(いくら)にあった丹倍津(にべつ)という港です。
 ここには江戸初期まで、明(中国)や朝鮮、ルソンから貿易船がやってきたそうで、当時のにぎわいはいかばかりか。はるばる東シナ海、有明海といくつもの海を越え、さらには菊池川支流の唐人川をつたって、伊倉へ。清水をたたえる湧水地はあるものの、唐人川の姿は現存せず、ただ外国人が住み着いた証しであるかのように、町の一角に唐人町という町名が残っていました。緩やかな起伏のある通りに、民家が建ち並びます。その昔、ここを中国の船乗りや僧、商人が行き来したかと思うと、エキゾチックな光景を想像せずにはいられません。
 サワサワサワと葉がこすれあう音に振り向けば、台地の麓(ふもと)から渡る風の仕業でした。伊倉には坂道が多く、ざっと10数カ所の坂があります。「先人たちが道の特徴をもじって、御幣振り坂、地獄坂、極楽坂、阿弥陀坂、製糸坂、バテレン坂と名づけました」と『伊倉まちづくり委員会』の松本重美さん(65)と小山武之さん(77)。
 同委では、歴史や由来を書いた案内板を立てたり、パンフレットを作成したりして、伊倉の歴史の保存に努めています。


>> 2 百年の時を超えた生活文化と向き合って暮らす人たちに出会う
※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅
Vol.31(2011.7.2)掲載
新玉名駅を中心として、新しいにぎわいにわく玉名市。一方で、鎌倉時代から“港”として栄えた名残が息づく由緒ある地。山、海、川に囲まれた玉名を訪ねて、土地にまつわる文化と歴史に触れてきました。

文=森田玲子 写真=森賢一(グラフ) 
表紙=玉名・伊倉の極楽坂にて



水が湧き、坂の続く玉名・伊倉へ
1 アジアとの海外貿易で にぎわった港 バテレンさんも歩いた 坂の街
2 百年の時を超えた 生活文化と向き合って 暮らす人たちに出会う
3 玉名を歩けば、 立ち寄らずにいられない 一期一会の楽しさがある

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