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足どり軽やかに美味しい一日 光の森グルメ散策
遠見山の展望台から見る牛深の街並みとハイヤ大橋




陽光が似合うドーナツカフェ、人も犬もひと休みの人気パン屋

270戸の家屋が密集している「せどわ集落」。昔は漁師たちが多く住み、「鯵川(あじがわ)」「鱶口(ふかぐち)」「鯖江(さばえ)」などの魚にちなんだ苗字も多かった
 
牛深出身で、明治38年に日本女性で初めてドイツ医学界の学位号“ドクトル・メディツィーネ”を取得した「宇良田タダ」の顕彰碑が、「むつみ公園」に建立されている

牛深浦。1594年、船で立ち寄ったイスパニアの商人が「入江は深く山に囲われて船を損なう風もない」と言ったほど、古くから天然の良港だった


かつて大海原に向かって漁に乗り出していた人たち。引退した今は仲間と公園で将棋を打つのが楽しみだとか
 
観光ボランティアガイドの吉川茂文さん(73)。旧牛深市役所を退職後、家業のカメラ店を経営しながらガイドを務めている


 ぬけるような青い空が海に映り、さざなみがまぶしくきらめく牛深の海。その海の真上を、まるで生き物が飛んでいるかのように架けられたハイヤ大橋。牛深を代表するスポットです。シャープでエッジの効いた橋のラインの美しさは見事です。この橋のデザインを手がけた建築家のレンゾ・ピアノ氏は、パリのポンピドゥセンター(美術館)を設計した人物でもあります。
 「“牛深港に船が百ぱい着きゃ帆柱百ぽんぽん、止まる烏も同じ百羽っぱ”と、牛深甚句でも唄われているように、天然の良港を持つ牛深は、江戸時代から廻船による商いで栄えていたんですよ」と出迎えてくれたのは、観光ボランティアガイドをつとめる吉川茂文さん(73)。
 かつて牛深は、江戸時代より大坂と薩摩を行き交う廻船が交易基地として立ち寄り栄えた港だそうです。明治から昭和にかけては、カツオやイワシの豊漁で沸き立ち、南九州の長者番付で牛深の網元の名前が登場しないことはない、といわれるほど繁栄を極めていたのです。
 そんな当時の面影を残すものに“せどわ”と呼ばれる集落があります。「平地の少ない海と山のはざまで、たくさんの人々が住めるように工夫したもの。電話もない時代。同じ船団の乗り子たちが、出漁の連絡を取りやすい便利さもあったんです」と吉川さん。
 現在もおよそ270戸が密集するせどわの集落を歩いてみると、道幅が1メートルもない狭い路地に中二階建ての家がぎっしり。奥へと進み、右へ左へと路地が続きまるで迷路。対面の軒が重なり合い、雨の日は傘いらずといった具合です。


>> 2 雨風に乗って、日本中を駆け巡った牛深ハイヤ節
※各情報は掲載時のものです。料金や内容が変わっている場合もあります。
  あれんじ気まま旅 IN KUMAMOTO
Vol.3(2010.5.1)掲載
牛深ハイヤ祭りで知られる天草市牛深地区。町をあげての一大祭りも終わり、穏やかな時間が流れる牛深を訪ねました。草下島最南端の町は、深く透き通る藍の海と大らかな人情に包まれていました。

表紙ロケ地=後浜新漁港近くから眺めた夕日に染まる牛深の海



足どり軽やかに美味しい一日 光の森グルメ散策
天然の良港が育んだ歴史と文化
南風に乗って、日本中を駆け巡った牛深ハイヤ節
牛深商店街をぶらり歩けば、温かな人情にあたる

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