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(1)この地ならではの工夫と共生 禁教期の祈りのかたち

(1)この地ならではの工夫と共生 禁教期の祈りのかたち

2018年6月2日
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1934年、フランス人宣教師・ハルブ神父の希望で、この地に建てられた「﨑津教会」。禁教期に“絵踏み”が行われた庄屋役宅跡に建てることで「復活の象徴としたい」という神父の強い思いがあったそう(設計は鉄川与助)

天草市河浦町の﨑津集落を訪れました。初夏の空を映した海は青く輝き、海からの風が肌に心地良い季節です。

古くから外国船が出入りするなど、貿易や流通の拠点として栄えた﨑津港。室町時代には南蛮文化とともにキリスト教が伝来し、たくさんの信徒が生まれました。ところが江戸幕府がキリシタン禁教令を出すと、信徒の日常は大きく様変わりします。厳しい弾圧に耐えかねて棄教する人もいましたが、表面上は神道や仏教徒を装いながらひそかにキリスト教信仰を続ける人が多くいました。漁業の神として祭られた「えびす」像をデウスとして崇拝したり、アワビの貝殻の内側に現れる模様を聖母マリアになぞるなどの工夫をして信仰を貫いたと伝えられています。

穏やかな海にせり出すカケ(漁師たちの作業場)や、密集した民家の間を走るトウヤと呼ばれる細い路地など、漁村ならではの風景が広がる﨑津集落

﨑津を歩いていると、あちこちの道端でのんびりくつろぐ猫の姿に癒やされます

江戸時代の町割りの名残を見ることができるのも﨑津集落の価値のひとつ。﨑津教会を見下ろす「﨑津諏訪神社」は潜伏キリシタンがひそかに信仰をあたためた場所でもあります

「集落に点在する神社との共生も、天草のキリシタンの特徴です」と話すのは、天草市観光文化部学芸員の中山圭さん(41)です。

中山さんから禁教期の信仰を伝える場所があると聞き、﨑津集落から北へ車で5分ほどのところにある今富集落を訪ねました。江戸時代の干拓によってつくられた田園には、田植えを終えた青い稲が揺れていました。

今富の山奥で段々畑の中にたたずむ小さなお堂を見つけました。「大山大神宮」は、地域の人たちによって大切に守られてきた場所です。そこには、禁教下のキリシタンたちが聖母マリアに見立てて祈りを捧げたという天照大神が祭られており、時代や宗派を超えた神の存在が、人々の心のよりどころになってきたことが分かります。

※禁教が解かれた後でカトリックに復帰した人を「潜伏キリシタン」、復帰せず独自の信仰を続けた人を「かくれキリシタン」と呼びます。天草では昭和30年代にすべての信者がカトリックに復帰または改宗したそうです

布教時から潜伏期にかけて用いられていた信心具や﨑津集落のジオラマなどを展示する「﨑津資料館みなと屋」

「大山大神宮」に祭られた天照大神。小さなお堂の周りは美しく掃き清められていました

「世界文化遺産登録が濃厚になり、以前にも増して多くの方が訪れるようになりました。この地域の価値を伝えられるよう頑張ります」と話す、学芸員の中山圭さん

﨑津集落ガイダンスセンター ※﨑津教会、大山大神宮の問い合わせもこちら

 

﨑津資料館みなと屋