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(1)深い渓谷をまたぎ 生活支えたつり橋

(1)深い渓谷をまたぎ 生活支えたつり橋

2018年5月5日
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樅木の吊橋。すぐ下流の橋と2段の親子橋になっていて、「あやとり橋」と「しゃくなげ橋」というステキな名前です

急カーブの続く山道をたどり、深山幽谷の里、五家荘を訪れました。路傍にうつむくように咲いたミツマタの花が「こんにちは」と頭を下げて歓迎してくれているようです。

黒木さんに山を案内してもらいました。褐色でつるんとした木肌のクロモジは、天に向かうようにピンととがった葉芽が特徴。葉の根元には、ガラス細工のような薄い黄色の愛らしい花芽をつけていました

五家荘は、菅原道真の子孫や平家の落人が逃れてきたという伝説が残る隠れ里。名前の由来は、椎原(しいばる)、久連子(くれこ)、葉木(はぎ)、仁田尾(にたお)、樅木(もみき)にそれぞれ庄屋があったことからと伝わります。

五家荘には「樅木の吊橋」という有名なつり橋があります。深い渓谷をまたぐように架かる橋は、今では絶景スポットとして知られていますが、かつては人々の生活になくてはならないものでした。昔は、かずらに木板を渡しただけの簡素な作りで、そこをわらじ履きで渡っていたというから驚きです。

「子どもんころは、二本杉を越えて砥用(現美里町)まで、12時間かけて歩いて行きよりました」と話すのは、樅木地区で民宿「山女魚荘」を営む黒木智さん(78)です。黒木さんは父親とともに、畑で取れた小豆やとうもろこしを馬の背に載せて行商に行き、米や生活用品に換えて持ち帰っていたそうです。

山女魚荘の黒木智さん。五家荘のことなら何でも知っている“五家荘の生き字引”的存在です

手際よくクロモジを削る黒木さん。「お客さんが喜ぶ顔を思い浮かべながら作っています」

黒木さんは若いころ、大工として人吉で働きましたが、「やっぱり山が恋しゅうなって、戻りました。この家は私が建てたとですよ」。その民宿の玄関先で毎日、高級品として知られるクロモジのようじを作っています。大工だっただけに、木工細工はお手のもの。山で採ってきたクロモジの木を削り、サンドペーパーで仕上げると、辺りにサンショウの実に似た香りが漂い、殺菌効果もあるそうです。出来たようじにはクマザサで作ったキャップを付け、民宿を訪れた客にプレゼントされています。

黒木さん手作りのクロモジのようじ。クマザサ製のキャップも手作り

猟で使用する山刀で、クロモジの木をカットします

昭和40年代の樅木の吊橋(資料写真)

山女魚荘