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(1)化け猫騒動から始まった “お嶽(たけ)さん参り”

(1)化け猫騒動から始まった “お嶽(たけ)さん参り”

2018年3月3日
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朱塗りの拝殿の市房山神宮。縁結びの神様として知られています(資料写真)

晴れた日の早朝、水上村へ向け熊本市を出発。九州自動車道を南下して人吉インターチェンジまで約1時間。球磨川に沿うように伸びる県道33号を東へ向けて走ること40分。かやぶき屋根の寺社や石蔵が点在する田園風景が見えてきます。さらに東へ進むと、青々とした水をたたえた市房ダム湖。その向こうにそびえるのが、霊峰・市房山(標高1721m)です。「市房」の呼び名は、かつてこの地を治めていた久米城主・市房氏にちなんでつけられたと伝わります。

市房ダム湖の桜(資料写真)

市房山は、この地域では古来より信仰の山として“お嶽さん(おたけさん)”の愛称で親しまれてきました。お嶽さんの4合目には、市房山神宮(創建807年)があり、昭和30年代までは、旧暦3月15日の夕方から16日にかけて、人吉球磨地域の人たちが一斉に宮参りをしていました。これが“お嶽さん参り”です。

お嶽さん参りの始まりは、400年以上前の1582(天正10)年、本能寺の変が起こった年のこと。当時の人吉球磨の領主・相良氏にまつわる“化け猫騒動”に端を発します。

天正10年、この地にあった普門寺(ふもんじ)住職の盛誉法印(せいよほういん)は、いわれのないぬれぎぬを着せられ、相良家の使者に殺されました。盛誉法印の母は、愛猫・玉垂(たまたれ)を連れて市房山神宮にこもった後、「茂間ケ崎淵(もまがさきふち)」に猫を抱いて身を投げました。その後、亡くなった玉垂が相良家19代目・相良忠房の枕元に立つなど、奇怪なことが起こり始めたのです。20代目・頼房(長毎・ながつね)は猫の怨念を鎮めるために“猫寺(千光山生善院・せんこうざんしょうぜんいん)”を建立し、この騒動と関係のある3カ所“猫寺”“市房山神宮”“護神さん(茂間ケ崎水神社)”にお参りするように領民に命じたのが、お嶽さん参りの始まりです。お参りのきっかけが、藩主の夢枕に立った化け猫だったとは、まるでおとぎ話のようです。

かつてのお嶽さん参りの様子。人の波が途切れることはありませんでした(水上村観光協会発行の冊子「お嶽さん参り」より)

もともとは猫の霊を鎮めるために始まったお嶽さん参りですが、いつのころか、男女の出会いや新婚夫婦の行楽としての意味合いが強くなり、市房山神宮は縁結びの神様として有名になりました。もともとは日中に参拝していましたが、“御夜(ごや)”と呼ばれる夜間におこなれるようになったことも、男女の出会いの場になっていった要因かもしれません。多いときは2000人以上の男女が羽織はかまともんぺ姿で山に登り、山道沿いにはたいまつと、ちょうちんが置かれ、ゆらゆらと揺れる光の帯が途切れることはありませんでした。一帯には道中歌がこだまし、それはそれはにぎやかだったと伝わります。

♪お嶽ご参詣とドッコイ
今度が初よ
ご縁があるならまた参ろ
  ナーイヨエ

戦時中は、家族の無事を祈るために参るなど、お参りの目的も時代によって変化しました。にぎわいをみせたお嶽さん参りでしたが、昭和30年代後半には参拝者数が激減し、その後途絶えてしまいました。20年ほど前に「お嶽さん参り実行委員会」により復活し、旧暦3月15日(今年は5月1日)の夜に地元の有志や希望者によるお嶽さん参りが行われています。

市房山神宮の参道には樹齢1000年のご神木が並びます。その最大の杉「平安杉」(資料写真)

猫寺(千光山生善院)