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(5)人生の半分を台湾の教育に捧げ 今も「大甲の聖人」と崇められて

(5)人生の半分を台湾の教育に捧げ 今も「大甲の聖人」と崇められて

2018年2月3日
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志賀哲太郎顕彰会の会誌。台湾・大甲と交流を持ち、志賀哲太郎に関する記事を掲載しています(会誌の問い合わせは同会事務局まで)

台湾に渡った哲太郎には、苦難が待ち構えていました。「当時の台湾は、植民地統治になじまない住民とのトラブルが多く、教育者を志すのも困難が多かったことでしょう。また親の子どもに対する教育への理解が浅く、就学が課題だった時代です」と同会の折田豊生さん(67)。

そこで、哲太郎は休日になると子どもらの家を訪ねて回り、根気強く登校をすすめました。文具を持たない子どもには買い与え、学費に困れば身銭を切って通学させたそうです。「そこには、哲太郎が幼少期に中村傳兵衞から受けた温情も影響しているかもしれませんね」と折田さんは話します。

大甲の人々から信頼を集めた哲太郎は、住民の代弁者としても奔走します。そんなとき、住民解放を求める民族運動が活発化。哲太郎は住民と総督府の板挟みとなり苦悩したあげく、入水自殺したのでした。59歳の人生でした。

葬儀の列は1キロにも及び、参列者は3000人を超えたといわれています。哲太郎の墓は大甲の山の中腹に建てられ、教え子らは「私が死んだら先生の墓のそばに埋めてくれ」と遺言する者が続いたそうです。

人生の半分を大甲の教育に注いだ彼の情熱はやがて実を結び、台湾各界で活躍する人材を輩出しました。その死去から95年近く経った今も志賀哲太郎は「大甲の聖人」として崇められています。

「志賀哲太郎顕彰会」では、2月25日(日)に益城町文化会館で「志賀哲太郎顕彰のつどい」を開催します。関係資料や催しについては、同会事務局にお問い合わせください。

志賀哲太郎の人生を紹介する「志賀哲太郎小傳」(志賀哲太郎顕彰会発行)

志賀哲太郎顕彰会事務局