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(2)築200年余の庄屋の邸宅 与謝野鉄幹夫妻も立ち寄る

江戸中期の「海松紋」が現代に蘇りました

(2)築200年余の庄屋の邸宅 与謝野鉄幹夫妻も立ち寄る

2017年7月15日
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上田家屋敷の庭にある大きな池。今は蓮の花が咲いています

天領・天草で、上田家は万治元(1658)年に幕府より庄屋に命じられて以来、代々その職にあった名家です。

今から200年以上も前に建てられたという上田家屋敷(国の登録有形文化財)は、風格あるたたずまいを見せています。

緑に覆われた広大な屋敷はひっそり静まりかえっています。広い畳敷きの部屋を巡る長い縁側、どっしりとした瓦葺きの屋根を見ていると、多くの人たちが出入りし、にぎやかだった様子が浮かび上がってくるようです。

この家には与謝野鉄幹、晶子夫妻も立ち寄っています。

上田家屋敷の中に入ることはできませんが、外から眺めるだけでも建物の素晴らしさが分かります

与謝野鉄幹たちが立ち寄ったという座敷へと続くアプローチ

さて、磁器づくりの材料となる「天草陶石」が発見されたのは元禄年間といわれています。

高浜村の庄屋だった上田家では、正德2(1712)年ごろから佐賀地方に天草陶石を供給し始め、後に採掘事業を展開します。宣珍の父である6代目・伝五右衛門の時代になると焼き物を始め、これが高浜焼の元祖と伝えられています。

上田家では代々、陶磁器業を受け継ぎ、村人たちの生活の支えでもある産業として発展させてきましたが、7代目の宣珍のころになると、経営に困難を極めていたそうです。そこで宣珍は家財を投げ打ち、高浜焼を守り抜いたのでした。

安永6(1777)年になると、長崎奉行の勧めにより、五島に居留していたオランダ人と貿易をするまでになります。このころ宣珍は、瀬戸焼の衰退を案じ、はるか天草までやって来た加藤民吉に陶磁器作りの秘法を伝授しています。

2人にとっての陶磁器業とは、単に物を作り出すことではなく、それに関わる人たちの暮らしや希望、夢までを一心に背負うことだったのではないでしょうか。高浜焼と瀬戸焼の歴史には、こうした男たちの情熱が刻まれているのです。

宣珍が日々のことを綴った「上田宣珍日記」(高浜焼寿芳窯所蔵)

帯刀を許された宣珍の肖像画が「上田資料館」にありました。目元がきりりとして、鼻筋の通ったなかなかの男前です。

上田家屋敷の敷地内 にある上田資料館

第7代目、上田宣珍の肖像画(上田資料館)

資料館には、江戸中期に作られた貴重な古高浜焼の作品が展示されており、その中の海藻がモチーフの「海松(みる)紋」の皿は、いかにも天草らしい絵柄です。

とてもモダンな皿で、イタリアンやフレンチなどの料理にもしっかりと映えそうです。

江戸中期に作られた古高浜焼「海松紋」の皿

資料館の中には歴史を伝える古高浜焼や上田家に関する資料が展示されています

瀬戸焼の「磁祖」と呼ばれる加藤民吉(銅像は瀬戸市に立っています。上田資料館)

「10年前に『海松』のレプリカを再現しました。おかげさまでたくさんの反響をいただいております」と寿芳窯の古田寿昭工場長(50)。

高浜焼寿芳窯の古田寿昭工場長

少し青みがかった白磁のやわらかい白に描かれた藍色の模様は、天草の海をほうふつとさせます。

江戸中期の「海松紋」が現代に蘇りました。皿の他にも、カップや茶わんなどあります

高浜焼寿芳窯の直売店

高浜焼寿芳窯


上田資料館

  • 営/9時~17時
  • 休/なし(8月14日~15日は休業)
  • 入館料/大人300円、中学生100円、小学生以下は無料

売店

  • 営/8時~17時 8時半~17時(土日祝)
  • 休/なし(8月14日~15日は休業)